かつて阪神で怒涛の活躍をみせ、鳴り物入りでヤンキースに入団した 井川慶 。メジャーに渡って以降は目立った活躍をできず、昨年オリックスから戦力外通告を受け去就が注目されていました。引退もささやかれていましたが、うれしいことに現役続行の速報が飛び込んできました!
移籍先は独立リーグの 兵庫ブルーサンダーズ 。現在の井川慶ですが、2015年9月の2軍戦ではMAX146km/hを計測するなど、まだまだ活躍できる余地はありそうです。期待したいところですね。
今回は、井川慶の全盛期~現在までの軌跡と今後の展望をご紹介していきます。
井川慶が独立リーグ入り|現在も語り継がれる伝説の数々
井川慶が兵庫ブルーサンダーズで現役続行!|現在から振り返る全盛期~今後の展望
全盛期の井川慶(阪神タイガース時代)
井川の全盛期は阪神時代の2001~2006年でしょう。球界のエースと言っても過言ではない活躍を見せてくれました。
◇2001年
この年から覚醒の片鱗を見せ始めます。9勝13敗と勝利数では大したことないように見えますが、この年の阪神は5位に5.5ゲーム差をつけられたダントツ最下位のチームです。
取り分け、目立ったのは貧弱な打線で、チーム打率、チーム安打数、チーム本塁打数、チーム得点数、etc…主要部門は全てぶっちぎりの最下位です。チーム最多本塁打は、クルーズの 14本 という貧弱っぷり。こんなチームが存在するんですかというレベルです。
そんな中の9勝ですから、相当すごいです。ちなみに防御率は 2.67 でセ・リーグ2位。味方が点を取ってくれないであろう状況の中、投げぬいた先発の数は 28 で、セ・リーグ1位。強靭な精神力の持ち主なのじゃないかと、当時感じたものです。他チームにいれば、間違いなく最多勝投手だったでしょう。
ともあれ、阪神のスーパー弱小時代に頭角を表し、ここから目覚ましい活躍を見せるのでした。
◇2002年
星野阪神1年目で完全に覚醒します。 開幕戦11連敗中 で日本記録を絶賛更新中の阪神タイガース。開幕投手を任された井川は、何と前年最多勝の上原に投げ勝ち完投勝利を収めます。正直、今年は優勝するんじゃないかと思うくらい感動した記憶があります。
この年の井川は14勝7敗(セ・リーグ2位)、防御率2.49(セ・リーグ3位)、奪三振数206(セ・リーグ1位)と主要投手部門でも軒並み上位に入り、完全に覚醒します。その他にも、投球回数、完投数、完封数などで1位となるなど、自他ともに認める阪神のエースに成長しました。
あとは打線の覚醒を待つだけとなりました。
◇2003年
そして、ついに阪神打線も覚醒します。今までは何だったのかというくらいに覚醒します。2位に14.5ゲーム差の大差をつけ、18年ぶりのリーグ優勝を収めるのです。

出典 http://npb.jp/
打撃部門は、本塁打を除いて全て1位になるという神がかったものでした。当時の打線はダイナマイト打線と言われとにかく打ちまくっていました。
バックが本気になったことで、井川は順当に(本来の)成績を残します。20勝5敗(セ・リーグ1位)、防御率2.80(セ・リーグ1位)、奪三振数179(セ・リーグ3位)と文句なしの成績です。さらに、セ・リーグMVPと沢村賞を受賞、ベストナイン選出など、名実ともに球界のエースとなりました。
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◇2004年 ~ 2006年
その後も順当に活躍を続けます。
2004年と2006年に最多奪三振のタイトルを獲得。2004年~2006年は14勝、13勝、14勝とチームの成績に大きく貢献します。前年に比べるとやや物足りない気もするのですが、十分に阪神のエースしての役割を果たしていました。2002年と2003年がちょっとすご過ぎたのかもしれませんね。
そして、日本球界の実績を武器にポスティングを利用して大リーグ挑戦することになります。
苦悩する井川慶(NYヤンキース時代)
ポスティングシステムにより、ヤンキースが30億円で井川を獲得します。当時は鳴り物入りで入団したのですが、アメリカに渡ってからの井川は活躍からは縁遠いものとなってしまいました。
メジャーでの成績はわずかに2勝。5年間のほとんどをマイナーで過ごしました。
◇不調の原因
数々の理由が述べられていますが、主に下記3点が挙げられます。
- 球団の調査不足
- 球団から信頼されずチャンスが少なかった(特に2年目以降)
- 制球力
1と2は連動していて、球団側の予想とあまりにも乖離したレベルであったため2年目以降は冷遇されたと言われています。パドレスなど他球団から熱心に獲得オファーがあったことからもその可能性は窺えます。
技術的な原因としてよく言われているのが制球力で、球威に関しては一定の評価を受けていました。ただ、制球力が問題で四球の多さよりは、甘いボールが多くなることが問題視されていたようです。インサイドワークのコントロールに苦しんでいたこともあり、それが日本球界での被本塁打率の高さともつながってきたのでしょう。総じてこの制球力のアバウトさが、メジャーで通じなかった主要因として挙げられています。
かつての活躍を知っているだけに、この時は悲しかったですね。
低迷する井川慶(オリックス時代)
その後、6年ぶりに日本球界に復帰して、オリックスで再起を誓います。しかし、ここでも井川が輝くことはありませんでした。
度重なる怪我と伸びない球速に悩まされ、2012~2015年の成績は、2勝、3勝、2勝、0勝と燦燦たる結果でした。
そして、2015年10月に戦力外通告を受けます。
あの最盛期のイメージが非常に強いため、残念でなりません。。。
現在~今後の展望(兵庫ブルーサンダーズ時代)
去就が決まっていなかった井川慶は、退団後も自主トレーニングを続けていました。そこに、独立リーグの兵庫ブルーサンダーズ入団の報が舞い込んできました。現在は入団に向けて最終調整中とのことです。
この兵庫ブルーサンダーズは、2011年に発足した兵庫県三田市に本拠地を置くチームでリーグ年間優勝3回の強豪です。ここに所属する 続木敏之 コーチが阪神時代のトレーニングコーチでもあり、プレーしやすい環境が理由としてあったのかもしれませんね。
昨オフは 12kgを減量 し肉体改造に成功したこと、9月の2軍戦で MAX146km/h を投げ込んだことなど、復活の兆しはあります。現在は「アメリカから帰国して最高の状態」ともコメントしており、本人も自身に満ち溢れています。
何とか最盛期の頃のあのピッチングを、またマウンドで見せてほしいものです。そして願わくば、良い状態でプロ野球に復帰してほしいですね。
まとめ
井川慶の現在までの軌跡と今後の展望をご紹介してきました。
やはりプロ野球というのは一流の中の一流の選ばれた人間同士が、真剣勝負している場なので活躍するというのは簡単にできることではないのでしょう。また、ちょっとした怪我や球団との不和で活躍できなるなるようなこともよく耳にします。理由や環境はそれぞれあるでしょうが、それらを全て跳ね除けた人間が真の一流と呼ばれるのでしょう。
是非、井川にももう一花咲かせてもらって、あの頃の活躍を見せてもらいたいものです。