何かと不安定な情勢が続く中東ですが、つい先日シリア政府軍がパルミラ全域をISから奪還しましたね。
IS統治下では遺跡の破壊が連日報じられてハラハラしていましたが、大半は無事とのことでちょっと安心しました。

出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/
そんな戦火をくぐり抜けたパルミラ遺跡ですが、ここは本来シリアではかなり人気の観光地でした。歴史的に重要な意味を持つこの遺跡について、今回はご紹介していきます。
パルミラ遺跡って?場所は?
地理的な場所としては、シリアのほぼ中心部のホムス県に位置しています。
パルミラ遺跡はローマ帝国統治時代の都市遺跡で、1980年に世界文化遺産として登録されました。この遺跡の素晴らしいところは、ローマと地元の文化だけではなく、ギリシャ・メソポタミアなどの周辺の文化の影響をも多分に受けそれらを融合して併せ持った、多様で独特な様式にあります。
数あるローマ帝国都市においても、ここまで文化の融合と変遷の様が証拠として現存しているものは稀です。
これだけでも、パルミラ遺跡の歴史的意義がお分かりいただけるでしょう。
歴史の概要
ここからはパルミラの歴史を時系列に沿って、簡潔にご紹介します。世界史好きな人は復習のつもりで、歴史にあまり興味のない方は物語を読むつもりでついてきてくれると良いかと思います。
◇セレウコス朝シリア
アレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシアを滅ぼしたのは、世界史的にもかなり有名ですのでご存知な方も多いかと思います。彼の死後、後継者争いを経て成立したのがセレウコス朝シリア (前312年) です。
パルミラはセレウコス朝の脅威にさらされながらも、この間独立を維持しキャラバン貿易の拠点として繁栄していくことになります。
その後、当時世界最強の軍事力を持ったローマ帝国にセレウコス朝が滅ぼされる (前63年) と、その脅威はパルミラにも迫ってきました。しかし、彼らはチィグリス・ユーフラテス川の対岸に移住することでこの難を一時逃れることになったのです。
◇ローマ帝国による統治
ローマに対して抵抗を続けるパルミラですが、皇帝ティベリウスによってついにシリア属州の一部とされてしまいます (20年頃) 。
出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/
しかし、東西貿易の要としての重要度はその後も増していき、 129年 には自由都市の称号を得るまでになりました。
貿易による人・文化の交流が、いかに富をもたらし地域の価値を高めるかがよく分かりますね。
◇パルミラ王国
ローマ帝国の影響力が次第に低下し、259年に時のローマ皇帝ウァレリアヌスがササン朝ペルシアの捕虜となったのを契機に 260年 パルミラ王国が建国されました。
そして、司令官暗殺など国内混乱の中で実権を握ったのが有名な女王ゼノビアです。彼女の時代にパルミラの領土は大きく拡大し、自身の息子に皇帝を称させるまでに至りました。

出典 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
しかし、その繁栄も長くは続かず「世界の修復者」として知られるローマ皇帝ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌスによって壊滅させられます (273年) 。
貿易小都市から頑張ってのし上がったんですけど、引き時を見誤りましたかね。急成長した国が短命で終わるというのは、悲しいかな本当によくあることです。
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◇ローマ以後
ローマ帝国によって街が破壊された後は、大半が長く廃墟とされてきました。
その後 636年 に正統カリフ軍が支配して以降はアラブ人がこの地を治めましたが、 1089年 の大地震以降は町としての機能は失われ、完全に放置されてしまいました。
再び世界の注目を集めることになったのは、 1753年 にイギリスの探検隊による報告書が出された時でした。これは後のヨーロッパ古典主義建築の進歩に大きな貢献を果たしたと言われています。
出典 http://www.officeshibuya.com/
◇現在
現在は遺跡の隣にタドモルの町があり、およそ5万人が暮らしています。
2015年 にISによる侵略、重要文化財の破壊、遺跡関係者の処刑などがあったのは記憶に新しいでしょう。このニュースに胸を痛めていた方は多いことと思います。
そして、つい先日 2016年3月27日 に、パルミラ全域をシリア政府軍が奪還したという知らせが世界中を駆け巡りました。
歴史的重要度の高いパルミラ遺跡が保護下に置かれたことは本当に喜ばしいことです。一日も早い現状調査や修復が待ち望まれるところですね。
まとめ
ここまで駆け足でパルミラ遺跡の歴史やその意義をご紹介してきました。歴史嫌いの方にはちょっと読みづらかったかもしれませんが、少しでも重要度が伝わっていると幸いです。

出典 http://4travel.jp/
東西の要衝として興亡を繰り返してきたパルミラ。周辺の強国に抵抗をつづけながらも、周辺の文化と地元の文化を融合させ独自の文化を築いてきました。その独自性と文化の変遷を残しているパルミラ遺跡は歴史的に非常に価値あるものです。
今は不安定な地域となっていて訪れることはできませんが、落ち着いたらこの遺跡を是非訪れて当時の雰囲気を肌で感じたいものです。
一日も早く平和なシリアに、気軽に観光に行ける国になってもらえるよう願うばかりです。